アサダケ

とても個人的な内容です。

冬眠

先の記事で語ったとおりの出来事のために、わたしは11月から高校1年生が終わるまでの約半年間、学校には行けずにいた。

 

12月中はずっと自室に篭っていた。勉強も何も出来ず、大好きな歌を歌うことも、音楽を聴くことも、何もかもやる気が起きずに泣き明かしていた。

 

1月になり、センター試験を受けに外出したのをきっかけに、散歩をするようになった。近所を歩くのはつらかったが、いずれ克服しなければ生活が出来ないので頑張ってやっていた。ある時、夜中に公園で泣いていると、声をかけてきた女性がいた。彼女の名前をここではMとする。曰く、23歳でフリーター、近所のアパートに恋人とふたりで暮らしているらしい。わたしの涙の理由をMは優しく引き出してくれた。すごく話しやすい人だった。また次の日もこの時間に会おうと約束をした。不思議な夜だった。1月の真夜中にも関わらず、オレンジの街灯が辺りを暖かくしているような空気があった。

 

また次の日に、次の日にと回数を重ね、わたしの現在の状況を知った彼女は、あるバイトを紹介した。わたしの高校はアルバイトが禁止だった。しかしわたしの担当医が、「家に閉じこもっているのは良くないから、学校に行けないならアルバイトをしなさい」という旨の一筆をしたためてくれたために、特別にアルバイトの許可がおりた。不定期で野球場でビールを売るバイトはしていたが、大体が平日の夜と土日だけだったため、平日の昼間は暇だった。それにじっとひとりで考えこむ時間はとても苦痛だった。そういうわけで、わたしはMの持ちかけるアルバイトを、内容も給料も聞かずに二つ返事で承諾したのだ。

 

内容は時によって全く違った。結婚式で親族のフリをする、や美術品(らしい)の輸送をするトラックに乗車し、指定の場所に届けたあとサインをしている所を見届ける、や新しく自販機を置けそうな場所を探す、や占い師の話を聞く、だ。何のためか予想がつきそうな物もあれば、本当にわけが分からないものもあった。

 

肝心の労働条件であるが、拘束時間は9時頃から15時頃まで。昼食も1日1,000円支給され、プラスで必ず約3万円が貰えた。それも当日現金手渡しで。もちろん雇用契約書なんてものは無い。今ちゃんとした所でそれを交わし働いている身からすれば、このバイトがかなり怪しいのは理解できる。しかし当時のわたしは、これをおいしいバイトくらいにしか考えていなかったのだ。

 

そんな関係が2ヶ月くらい続いたが、ある日Mと連絡がつかなくなった。Mの住んでいたアパートからMは転居しており、唯一の連絡先であるLINEもおそらくブロックされていることがわかった。公園で話した日以降、仕事になるとプライベートの話はしなかったため、彼女がわたしと過ごすアルバイトの時間以外にどのような生活をしているのか、家族はいるのか、など全く知らなかったのだ。あまりよく知らないということは、思い入れることも少ない。おいしい稼ぎ口が無くなったくらいにわたしはその出来事を咀嚼し、時間は過ぎていった。

 

そして去年の2月頃、わたしはMと偶然再会することになる。わたしは最寄り駅で大きなキャリーバッグをひいているMを見かけたので声をかけた。そしていつもの公園のベンチで彼女は語った。自分が暴力団関係者と交際していたこと、何らかの手法(詳しく言っていた気がするが忘れた)でクレジットカードとその暗証番号を聞き出すいわゆる"出し子"をしていたこと、それが警察に知られ、実刑2年を言い渡されたが、家族に高額の保釈金を出してもらい現在保釈中であること、だ。その時はへぇ〜くらいにしか思わなかったが、「じゃああの時美術品だって言っていたものは、なんだったんですか?」と聞くことをしなかったのを後から後悔した。きっとなんらかヤバイものだったに違いない。

 

世間知らずな高校生をダシに使うなんて!と少し怒りの気持ちが沸いたものの、わたしは捕まらなかったので(これから捕まるかもコワイ)「あ〜よかった!」という気分である。おわり。